上皇陛下はご在位中、何度がご自身の「幸せ」について言及された。
例えば80歳のお誕生日を迎えられた平成25年の記者会見。「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、
私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。
皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、
これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」と。“天皇の役割を果たそうと努力できたこと”それ自体が「幸せ」だった、と。
何と「無私」な幸せか。
又、平成28年8月8日のビデオメッセージでも。「皇太子の時代を含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、
国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)
の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、
国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもって
なし得たことは、幸せなことでした」と。ここでも国民に尽くされるという天皇の“務め”を
「なし得たこと」が「幸せ」だったと仰っている。ちなみに、
「人々への深い信頼と敬愛をもって」とあるのは、言うまでもなく、
昭和21年1月1日の昭和天皇の詔書(しょうしょ)に以下のようにあったのを踏まえておられる。「朕(ちん)ト爾等(なんじら)国民トノ紐帯(ちゅうたい)ハ、
終始相互ノ信頼ト敬愛トニ拠リ結バレ…」と。平成31年2月24日の「天皇陛下御在位30年記念式典」。
「天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした」と。
更にご在位中で最後の、平成31年4月30日の退位礼正殿の儀での“おことば”でも。「即位から30年、これまでの天皇としての務めを、
国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした」と。まさに「無私」に徹底された“幸せ”。
でも、上皇陛下が幸せを実感しておられた事実は、疑いない。
見落とされがちながら、皇室の在り方については、
天皇陛下をはじめ皇族方ご自身に、「幸せ」であって戴くことがとても大切だ。
そうでなければ、何より国民として申し訳ないし、
皇室を巡る制度は、憲法や皇室典範に何が書いてあろうと、
決して長くは続かない。
国民はその事を忘れてはならない。
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